2023 YMfg美祢・秋吉台カルスト国際ロードレース
CATEGORYレースレポート
クラス:UCI1.2
開催地:山口県
日程:11月5日
距離:127km
開催地:山口県
日程:11月5日
距離:127km
天候:晴れ
出場チームメイト:山本元喜、新城雄大、孫崎大樹、宮崎泰史、トマ・ルバ
レースレポート
今日のレースは基本的には自分、トマ、宮崎の3人で成績を狙うためにレースを進めていく、という作戦。
宮崎とトマはラストの登りに備える予定ではいたが、レースのコース的に複数に分断された状態での終盤戦になる可能性もあったため、そこは状況に応じて随時対応を変えていくということになっていた。
自分は最後の登りで他チームのエース級の選手と正面切って勝負するのは難しい、と予想していたので可能であればラスト1周に入ってから逃げ集団に入れれば成績を狙える可能性がある、という考えだった。
そこに至るまでの序盤の逃げの打ち合いに対しては雄大と孫崎で対応してもらう、という話にもなっていた。
今年のパレード区間はゴール前の登りを麓から登るコースに変更されていた。
先導するコミッセールカーのペースが速すぎると、遅れる選手が出てきてしまい、その場合最後尾が追いつくまでレーススタートが延びる、という可能性があった。
案の定、少し早めのペースで登りだしたために少し集団がバラけたものの、0kmに設定されていた地点では集団が一つにまとまっていたため、トラブルなくレーススタートとなった。
スタート直後からアタックの打ち合いが始まり、逃げを狙う動きが連続する。
雄大と孫崎で対応してもらっていたものの、少し辛そうな様子があったため、途中からは自分も先頭に上がって打ち合いに対応していた。
もっとも、今日の狙いは終盤戦であったため、動きはいつもよりも相当に抑えたうえで、不味そうな動きにだけ対応するようにしていた。
何度か逃げと吸収を繰り返すうちに、孫崎を含む数名が先行したのでキナンとしては見送るのもありか?と考えたが、他チームが追ったことで再び集団が一つになった。
そのカウンターで抜け出した数名にもチャックに入っておいた方が良いと感じたが、直前に動いていた孫崎は反応できず、雄大もかなり辛そうな様子だったので、自分がチェックに入った。
結果、その逃げが勢いよく6名ほどで先行していき、そこに後ろからブリッジを仕掛けた選手が合流したことで20名近い逃げ集団となった。
逃げには愛三から4名とシマノから3名、ブリッツェンも2名が加わっていたが、ビクトワールと右京の選手は入っていなかった。
自分しか入っていないキナンも少し不利ではあるが、それはここからの展開で上手く変えていくことができるので、まずはビクトワールと右京に集団を牽引させてダメージを与えるべくローテーションに加わっていた。
逃げが決まった少しあとの帰路の秋吉台への登り区間で後ろを振り返るとビクトワールが全員で集まって集団の牽引を始めていたのので、少し無理しつつも逃げのペースが上がるように長めに牽いていた。

ビクトワールは分かりやすくダイボール選手単独エースのはずなので、アシストを使い切った後は単独のブリッヂを試みる可能性があり、どちらかというとメイン集団のペースを乱す動きを始めるはず。
また、集団の牽引を始める判断がかなり早かったことから、逃げの危険度を相当高く判断しており、一刻も早く詰めてこようとすると考えられた。
つまりアシストを使い切ってでも短時間で逃げを潰そうとしているので、ここで詰め切られなければ、ビクトワールのアシスト選手は全員いなくなる。
そうなると次は右京が集団の牽引を始めると考えられた。
今回のレースでは明らかに右京のチーム力が高かったので、いかにそれを消耗させるか?というのが重要だったわけだが、かなり都合のいい状況になっていた。
逃げ内では少しローテーションを渋る動きもあったが、1周目のゴール地点への登りで脚のない選手が振り落とされたことで、ローテーションの協調体制が整い、スムーズに逃げが回り始めた。
自分のコンディション的には1週間前に発熱した影響が残っており、感覚があまり良くなかった。

最後の登りで勝負できる脚があるか、と問われると難しいというのが正直な感想だったので、自分の着順を狙うよりもチームに有利になるような動きをする方向で走り方を考えていた。
一人しか入っていないキナンとしてはそこまで全開でローテーションを回す必要が無かったので、集団とのタイム差が2分近くまで開いてからはちょくちょくローテーションを抜けて休んでいた。
自分の予想ではラスト1周に入る手前の登りでメイン集団が崩壊しながら登れるエース級の選手だけが逃げに追いついてくると考えていた。
当然、かなり消耗して追いついてくるはずなので、逃げ集団の選手が脚を残していると追いついてきた側がそこまで有利でなく、むしろ結果的に逃げている側の方が楽だった、という展開もあり得た。
追いついてくる側のトマと宮崎で勝負する可能性が高いキナンとしては、その状況があまり好ましくなかったため、2回目の登りでは逃げ側の脚を削っておく意図もあって麓からペースを引き上げて少し人数も削っておいた。
さらに山岳賞がかかっていたので、表彰台に上がるためにもしっかりと踏んで山岳賞を獲得しておいた。
山岳賞通過後には10名まで絞られたが、後方集団が1分まで迫ってきていることもあって、再び協力して逃げを継続。
周回コースで後ろを振り返るとかなり近くまで迫っており、いよいよ捕まるか?とも思ったが、逃げが再び踏みなおしたことで一時的にタイム差が広がった。
折り返しの周回路を抜けた先で先頭交代をしながら、中間スプリントが設定されていたことを思い出し、交代後に少し踏み続けて獲得できた。
競り合っていたわけでは無かったが、石上選手とかなり微妙な差だったので獲得できていたかどうかの確証は無かったが、獲得できていた。
そこからの復路の登りで愛三の渡邊選手とレバンテの山口選手が抜け出す場面があった。

愛三は渡邊選手を逃がして勝負するつもりなのか?とも悩んたが、後ろを抑えるような動きも無かったし、ここで抜け出しても40km以上残っているので絶対に逃げ切りは無い。
また、逃げには愛三が4名、シマノが2名、キナン・ブリッツェン・レバンテが1名ずつという状況だったので、愛三としては少しでも全員で協力して逃げを継続したいはず。
なので意味が分からない動きではあったが、逃げの脚を削っておきたい自分としては悪くない状況だった。
この動きで少し乱れてくれると助かる、とも考えたため2度ほどブリッヂを仕掛けて集団にインターバルをかけた結果、アベタカさんと草場選手、風間選手が遅れ6名に絞り込まれた。
逃げの半分が愛三となっており、後ろの集団も迫ってきているとなると自分が逃げを牽く意味もないな、と判断してローテーションをスキップする回数を増やしていた。
先ほどのような愛三のアタックの可能性も残っているので、それに反応する脚を残しておく必要もあったという面もある。
やはり愛三は逃げで勝負するしかない状況だったこともあり、主に岡本選手がかなり強力に牽引しつつ逃げを維持していた。
それでも後方とのタイム差が30秒ほどという事で、いよいよラスト1周に向かう登りで追いつかれるのは確定的だろうと感じていた。
登りの中腹で捕まってしまうと、そこからペースが上がった際に引きちぎられる可能性が高かったので、出来る限り頂上に近い位置、可能であれば山頂を通過してから捕まりたい、という事もあり、登りに入った瞬間から頂上までギリギリ維持できるであろう限界のペースで登り始めた。
それに付いてきたのは石上選手だけで、他の選手は遅れた。
登りの途中で後ろを振り返ると人数を減らしたメイン集団がゴリゴリと登ってきているのが見え、必死に踏み続けて山頂まで先行しきれないかと頑張っていたが、一度下りを挟んだ先のラスト500m地点で捕まる。
幸い集団のペースが緩んでいたので、最後尾に張り付き粘っていたが、山頂に向けてトマがアタックしたことでペースが上がって自分は千切れてしまった。

後方にはパラパラと千切れた選手が確認できたので、その選手たちと合流し状況に応じて協力や利用して前に戻れれば、と考えた。
ほどなくして後ろから大喜と山口選手に追いつかれ合流。
少なくとも大喜は積極的に前に合流させない方が良い、と判断してローテーションに回らずにいたが、大喜は結構しっかりと牽いており、前に戻ってアシストする気だろうな、と考えていた。
そこに前からドロップしてきた、岡本選手と吉岡選手、後ろから追いついてきたバスファンベル選手も合流。
自分は相変わらずローテーションに加わらなかったが、ローテーションが乱れた集団からアタックした大喜にはしっかりとチェックに入り、先頭集団が牽制で止まっていたこともあり追いつけた。
ちょうど下り切りあたりで合流できたので、一瞬休んだ後にアタックを仕掛けることで、右京かダイボール選手を消耗させられないか試したが、逆に即座に反応してきたネイサン選手にカウンター気味に加速されて慌てて、反応はできたが前には出れず。
流石に脚の残り具合が違う、と感じはしたが諦めずにもう一度仕掛けると次はダイボール選手に即座に反応された。
数名で先行はしたものの、自分が一緒に逃げても最後に千切られるだけだろうと判断して自分がローテーションを渋ったこともあって集団に追いつかれる。
そのあとの動きでトマとダイボール選手とプラデス選手を含む6名が抜け出したので、ブリッヂを仕掛ける選手を潰す動きにシフトする。
その最中に集団に残っていた宮崎に、脚が残っていないことを伝えておいた。
前の6名と30秒差ほどが開いたところでバスファンベル選手がアタックし、そこにネイサン選手が反応したので、宮崎に反応するように声をかけ、聞こえたか聞こえていなかったかは分からないが、宮崎がチェックに入り3名の抜け出しが出来た。
置いて枯れた組には大喜を含む5名ほどが残っていたが、全員が疲れていて辛い状況だった。
そこからBSの山本哲央選手がアタックしたので自分が反応した。
今回のレースから2024年度シーズンのUCIポイントのカウントに含まれるため、チームとしてできる限りポイント獲得圏内に選手を送り込みたい、という話が前日のミーティングで出ていたため、10位以内というのは結構大切なポジションだった。
哲央選手と2人でローテーションを回していたが、後ろが完全に見えない位置まで離れたことと、前方に3名の姿が見えたため宮崎の順位を確定させるためにも、そこからはローテーションに加わらず。
途中で抜きに来たチームカーから「ここが10位争いだから」と念を押される。
基本的には登りでは自分に分があると考えていたがコンディション的に少し心配だった。
2人で登りの入り口まで走り、登り始めから哲央選手がアタック。
そこには反応せずに一定のペースで登りを刻み途中で抜き返したものの、そこまで差が広がらなかったことで下り区間と登り返しの区間で追いつかれる。
ラスト500mから2人ともがスパートを開始し全開で踏み始める。
背後に気配を感じていたが、ラスト200mで哲央選手が失速して離れたが、自分もラスト150mで脚が止まった。
追いつかれないか何度か振り返りながらも山頂まで踏み切って10位でゴール。

トマはプラデス選手とダイボール選手に続く3位、宮崎は7位という結果だった。
感想
元々は序盤から逃げるつもりのないレースだったが、展開的に逃げに入るしかなく結果的に逃げていて個人的にも良かったと思う。
チームとしても自分が逃げることで集団を牽く必要が無く落ち着いてレースを展開できたと思うので、かなり意味のある逃げだった。
コンディション的に1週間前の発熱で高強度の耐性と体の動きに悪さを感じていたが、後半に向かうにつれ少しずつ改善していたようにも感じた。
チームとしてトップ10に3人が入ることが出来たし、山岳賞は自分とトマ、中間スプリント賞も自分が一つ獲得することが出来たので良かった。
キツさレベル
10
出し切ってほぼ終わった状態だったのに最後の最後まで10位争いで追い込み続けて本当に辛かった。
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出場チームメイト:山本元喜、新城雄大、孫崎大樹、宮崎泰史、トマ・ルバ
レースレポート
今日のレースは基本的には自分、トマ、宮崎の3人で成績を狙うためにレースを進めていく、という作戦。
宮崎とトマはラストの登りに備える予定ではいたが、レースのコース的に複数に分断された状態での終盤戦になる可能性もあったため、そこは状況に応じて随時対応を変えていくということになっていた。
自分は最後の登りで他チームのエース級の選手と正面切って勝負するのは難しい、と予想していたので可能であればラスト1周に入ってから逃げ集団に入れれば成績を狙える可能性がある、という考えだった。
そこに至るまでの序盤の逃げの打ち合いに対しては雄大と孫崎で対応してもらう、という話にもなっていた。
今年のパレード区間はゴール前の登りを麓から登るコースに変更されていた。
先導するコミッセールカーのペースが速すぎると、遅れる選手が出てきてしまい、その場合最後尾が追いつくまでレーススタートが延びる、という可能性があった。
案の定、少し早めのペースで登りだしたために少し集団がバラけたものの、0kmに設定されていた地点では集団が一つにまとまっていたため、トラブルなくレーススタートとなった。
スタート直後からアタックの打ち合いが始まり、逃げを狙う動きが連続する。
雄大と孫崎で対応してもらっていたものの、少し辛そうな様子があったため、途中からは自分も先頭に上がって打ち合いに対応していた。
もっとも、今日の狙いは終盤戦であったため、動きはいつもよりも相当に抑えたうえで、不味そうな動きにだけ対応するようにしていた。
何度か逃げと吸収を繰り返すうちに、孫崎を含む数名が先行したのでキナンとしては見送るのもありか?と考えたが、他チームが追ったことで再び集団が一つになった。
そのカウンターで抜け出した数名にもチャックに入っておいた方が良いと感じたが、直前に動いていた孫崎は反応できず、雄大もかなり辛そうな様子だったので、自分がチェックに入った。
結果、その逃げが勢いよく6名ほどで先行していき、そこに後ろからブリッジを仕掛けた選手が合流したことで20名近い逃げ集団となった。
逃げには愛三から4名とシマノから3名、ブリッツェンも2名が加わっていたが、ビクトワールと右京の選手は入っていなかった。
自分しか入っていないキナンも少し不利ではあるが、それはここからの展開で上手く変えていくことができるので、まずはビクトワールと右京に集団を牽引させてダメージを与えるべくローテーションに加わっていた。
逃げが決まった少しあとの帰路の秋吉台への登り区間で後ろを振り返るとビクトワールが全員で集まって集団の牽引を始めていたのので、少し無理しつつも逃げのペースが上がるように長めに牽いていた。

ビクトワールは分かりやすくダイボール選手単独エースのはずなので、アシストを使い切った後は単独のブリッヂを試みる可能性があり、どちらかというとメイン集団のペースを乱す動きを始めるはず。
また、集団の牽引を始める判断がかなり早かったことから、逃げの危険度を相当高く判断しており、一刻も早く詰めてこようとすると考えられた。
つまりアシストを使い切ってでも短時間で逃げを潰そうとしているので、ここで詰め切られなければ、ビクトワールのアシスト選手は全員いなくなる。
そうなると次は右京が集団の牽引を始めると考えられた。
今回のレースでは明らかに右京のチーム力が高かったので、いかにそれを消耗させるか?というのが重要だったわけだが、かなり都合のいい状況になっていた。
逃げ内では少しローテーションを渋る動きもあったが、1周目のゴール地点への登りで脚のない選手が振り落とされたことで、ローテーションの協調体制が整い、スムーズに逃げが回り始めた。
自分のコンディション的には1週間前に発熱した影響が残っており、感覚があまり良くなかった。

最後の登りで勝負できる脚があるか、と問われると難しいというのが正直な感想だったので、自分の着順を狙うよりもチームに有利になるような動きをする方向で走り方を考えていた。
一人しか入っていないキナンとしてはそこまで全開でローテーションを回す必要が無かったので、集団とのタイム差が2分近くまで開いてからはちょくちょくローテーションを抜けて休んでいた。
自分の予想ではラスト1周に入る手前の登りでメイン集団が崩壊しながら登れるエース級の選手だけが逃げに追いついてくると考えていた。
当然、かなり消耗して追いついてくるはずなので、逃げ集団の選手が脚を残していると追いついてきた側がそこまで有利でなく、むしろ結果的に逃げている側の方が楽だった、という展開もあり得た。
追いついてくる側のトマと宮崎で勝負する可能性が高いキナンとしては、その状況があまり好ましくなかったため、2回目の登りでは逃げ側の脚を削っておく意図もあって麓からペースを引き上げて少し人数も削っておいた。
さらに山岳賞がかかっていたので、表彰台に上がるためにもしっかりと踏んで山岳賞を獲得しておいた。
山岳賞通過後には10名まで絞られたが、後方集団が1分まで迫ってきていることもあって、再び協力して逃げを継続。
周回コースで後ろを振り返るとかなり近くまで迫っており、いよいよ捕まるか?とも思ったが、逃げが再び踏みなおしたことで一時的にタイム差が広がった。
折り返しの周回路を抜けた先で先頭交代をしながら、中間スプリントが設定されていたことを思い出し、交代後に少し踏み続けて獲得できた。
競り合っていたわけでは無かったが、石上選手とかなり微妙な差だったので獲得できていたかどうかの確証は無かったが、獲得できていた。
そこからの復路の登りで愛三の渡邊選手とレバンテの山口選手が抜け出す場面があった。

愛三は渡邊選手を逃がして勝負するつもりなのか?とも悩んたが、後ろを抑えるような動きも無かったし、ここで抜け出しても40km以上残っているので絶対に逃げ切りは無い。
また、逃げには愛三が4名、シマノが2名、キナン・ブリッツェン・レバンテが1名ずつという状況だったので、愛三としては少しでも全員で協力して逃げを継続したいはず。
なので意味が分からない動きではあったが、逃げの脚を削っておきたい自分としては悪くない状況だった。
この動きで少し乱れてくれると助かる、とも考えたため2度ほどブリッヂを仕掛けて集団にインターバルをかけた結果、アベタカさんと草場選手、風間選手が遅れ6名に絞り込まれた。
逃げの半分が愛三となっており、後ろの集団も迫ってきているとなると自分が逃げを牽く意味もないな、と判断してローテーションをスキップする回数を増やしていた。
先ほどのような愛三のアタックの可能性も残っているので、それに反応する脚を残しておく必要もあったという面もある。
やはり愛三は逃げで勝負するしかない状況だったこともあり、主に岡本選手がかなり強力に牽引しつつ逃げを維持していた。
それでも後方とのタイム差が30秒ほどという事で、いよいよラスト1周に向かう登りで追いつかれるのは確定的だろうと感じていた。
登りの中腹で捕まってしまうと、そこからペースが上がった際に引きちぎられる可能性が高かったので、出来る限り頂上に近い位置、可能であれば山頂を通過してから捕まりたい、という事もあり、登りに入った瞬間から頂上までギリギリ維持できるであろう限界のペースで登り始めた。
それに付いてきたのは石上選手だけで、他の選手は遅れた。
登りの途中で後ろを振り返ると人数を減らしたメイン集団がゴリゴリと登ってきているのが見え、必死に踏み続けて山頂まで先行しきれないかと頑張っていたが、一度下りを挟んだ先のラスト500m地点で捕まる。
幸い集団のペースが緩んでいたので、最後尾に張り付き粘っていたが、山頂に向けてトマがアタックしたことでペースが上がって自分は千切れてしまった。

後方にはパラパラと千切れた選手が確認できたので、その選手たちと合流し状況に応じて協力や利用して前に戻れれば、と考えた。
ほどなくして後ろから大喜と山口選手に追いつかれ合流。
少なくとも大喜は積極的に前に合流させない方が良い、と判断してローテーションに回らずにいたが、大喜は結構しっかりと牽いており、前に戻ってアシストする気だろうな、と考えていた。
そこに前からドロップしてきた、岡本選手と吉岡選手、後ろから追いついてきたバスファンベル選手も合流。
自分は相変わらずローテーションに加わらなかったが、ローテーションが乱れた集団からアタックした大喜にはしっかりとチェックに入り、先頭集団が牽制で止まっていたこともあり追いつけた。
ちょうど下り切りあたりで合流できたので、一瞬休んだ後にアタックを仕掛けることで、右京かダイボール選手を消耗させられないか試したが、逆に即座に反応してきたネイサン選手にカウンター気味に加速されて慌てて、反応はできたが前には出れず。
流石に脚の残り具合が違う、と感じはしたが諦めずにもう一度仕掛けると次はダイボール選手に即座に反応された。
数名で先行はしたものの、自分が一緒に逃げても最後に千切られるだけだろうと判断して自分がローテーションを渋ったこともあって集団に追いつかれる。
そのあとの動きでトマとダイボール選手とプラデス選手を含む6名が抜け出したので、ブリッヂを仕掛ける選手を潰す動きにシフトする。
その最中に集団に残っていた宮崎に、脚が残っていないことを伝えておいた。
前の6名と30秒差ほどが開いたところでバスファンベル選手がアタックし、そこにネイサン選手が反応したので、宮崎に反応するように声をかけ、聞こえたか聞こえていなかったかは分からないが、宮崎がチェックに入り3名の抜け出しが出来た。
置いて枯れた組には大喜を含む5名ほどが残っていたが、全員が疲れていて辛い状況だった。
そこからBSの山本哲央選手がアタックしたので自分が反応した。
今回のレースから2024年度シーズンのUCIポイントのカウントに含まれるため、チームとしてできる限りポイント獲得圏内に選手を送り込みたい、という話が前日のミーティングで出ていたため、10位以内というのは結構大切なポジションだった。
哲央選手と2人でローテーションを回していたが、後ろが完全に見えない位置まで離れたことと、前方に3名の姿が見えたため宮崎の順位を確定させるためにも、そこからはローテーションに加わらず。
途中で抜きに来たチームカーから「ここが10位争いだから」と念を押される。
基本的には登りでは自分に分があると考えていたがコンディション的に少し心配だった。
2人で登りの入り口まで走り、登り始めから哲央選手がアタック。
そこには反応せずに一定のペースで登りを刻み途中で抜き返したものの、そこまで差が広がらなかったことで下り区間と登り返しの区間で追いつかれる。
ラスト500mから2人ともがスパートを開始し全開で踏み始める。
背後に気配を感じていたが、ラスト200mで哲央選手が失速して離れたが、自分もラスト150mで脚が止まった。
追いつかれないか何度か振り返りながらも山頂まで踏み切って10位でゴール。

トマはプラデス選手とダイボール選手に続く3位、宮崎は7位という結果だった。
感想
元々は序盤から逃げるつもりのないレースだったが、展開的に逃げに入るしかなく結果的に逃げていて個人的にも良かったと思う。
チームとしても自分が逃げることで集団を牽く必要が無く落ち着いてレースを展開できたと思うので、かなり意味のある逃げだった。
コンディション的に1週間前の発熱で高強度の耐性と体の動きに悪さを感じていたが、後半に向かうにつれ少しずつ改善していたようにも感じた。
チームとしてトップ10に3人が入ることが出来たし、山岳賞は自分とトマ、中間スプリント賞も自分が一つ獲得することが出来たので良かった。
キツさレベル
10
出し切ってほぼ終わった状態だったのに最後の最後まで10位争いで追い込み続けて本当に辛かった。
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